My English Learning History: Side Story 1


私の英語学習の歴史」の番外編その1です。

はっきり言って英語学習的ヒントはまったくなく、しょーもないエピソードのみ。でも楽しいので書きまーす。

☆中学時代
2年生の時に英語担当だった先生はおじいちゃんで(今考えたら、そんなに年じゃないかも…でも体感的には65歳くらいだった)、突っ込みどころが満載でした。

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こんな先生。(先日、酔っぱらった勢いでお菓子の箱に描いた似顔絵)

伏字にしようと思ったんですが、名前書いちゃってますね。(しかもひらがな間違ってる)

何十年たっても、こうして似顔絵が描けてしまうほどにインパクトがあり、かつ当時も描きまくっていました。(当時、同級生や妹からは「似てる!!」と絶賛の嵐)
注:決して好きだったわけではありません。

イラストにあるように、「ハイ、いいですねー」と言いながら、タルタルの頬を両手でさするのが癖。はっきり言って英語の授業内容は覚えてなくて、いまだに頭にこびりついているのが、

“お手洗いから女の人がハンカチで手を拭きながら出てくるのは、「私、今日オッケーよ」のサインだから、娼婦に間違えらえれますよ~~”

と授業中にいきなり私たちに教えてくれたことです。

今考えたら中学生になんちゅーことを、、って思いますが、当時も「えっ!」といろんな意味でインパクト大。真偽のほどはあやしいのに、いまだに、うっかりハンカチで手を拭きながらトイレから出てくると「ヤバイ、そう思われてたらどうしよう」といらぬ心配をしてしまう私。Tの呪いと呼んでいます。

あとは珍しく学校にALTのネイティブ先生が一度来たことがあったのですが、Tの英語が全然通じてなくて、「私たち、こんな先生に英語教えてもらってるんだなー」って薄々気づいてたけどかなりがっかりした思い出も。

 

☆イギリスの大学院時代
Sussex 大学の男女兼用フラットに住んでいた頃。
共同生活なのでいろいろ面倒なこともありましたが、女子大の寮と比べたら自由だし、刺激に満ちていて楽しかったです。

中でも記憶に残っているのは、アフリカ人のフラットメイト、シュチュニュイ。

リビングルームで仲良くアフタヌーンティ。真ん中は底抜けに明るいイタリア人のフラットメイト、モレノ。

アフリカ人のシュチュニュイとは、最初はとにかくソリが合わなかったです。

たとえば、急に部屋をノックしてきて “Stamps, please. (切手ちょうだーい)” とか言ってきます。もちろん「は?なんで?」と聞き返したら、「日本人は金持ちだから切手くらいくれてもいいだろー」「。。。。」みたいな。これで私の心のシャッターがばしゃーんと閉まったのですが、彼は気にせずどあつかましいことを次々に言ってきます。

キャンパスで会ったときは、“Any mails for me? (オレ宛の手紙来てた?)” と毎回聞きにくるし、そのたびに「知るかーー!」と冷たくしても気にするそぶりもなく。

ある日は、私が男友達にたまたまご飯を作ってもらってリビングでのんびりしていたとき、シュチュニュイは “You should be ashamed of it. (恥ずかしいと思え)” みたいなことを真顔で言ってきて、「何をーー!」と応戦してちょっとした議論になりました。アフリカは当時(今も、かな?)まだまだ男尊女卑の考え方が昔の日本のようで、男性は絶対に台所に立たないそうです。

いやー、ここまで価値観が違うことされると、シャイとか人見知りとか関係なく英語が話せるものですね。彼には言いたいことが言えました。そのせいか、大学院が終わる頃にはとっても仲良しに。発音しづらかった彼の名前も、いまだにすんなり発音できるほどです。

イギリスの大学院に留学するアフリカ人は、だいたいエリートで政府からの派遣だったりします。彼も政府派遣だったようで(全然そうは見えなかったけど)、今頃どうしてるのかな、とふっと思い出すときがあります。

ひとつにまとめようと思っていたのに長くなってしまったので、その2へと続く。

Kana