大学で教えることと、私のオンライン愛


今年の大学の授業は対面でスタートした。でも先週からまたオンライン授業に戻った。
私が非常勤講師として教えている和歌山大学は、現状では6/10まですべての授業がオンライン実施に切り替わっている。

新緑が眩しい久々の大学

私はオンラインが好きだ。授業の内容にもよるし意見はわかれるところだけれど、一般英語の授業においては個人的にオンラインと対面のハイブリッドが理想だと思っている。

今年は最初に対面でしっかり授業の説明もできたし、グループも分けて自己紹介もしあったし、あとはオンラインの方が学生はよく勉強するはず。これは去年のまるまる1年オンラインを経験して強く思う。

大きいスクリーンで説明するのも久しぶり
グループ分けしたあとのチームビルディングは大事

去年投稿した実践報告では、2020年のオンライン授業についてこんな感じで書いた。

おそらく多くの教員や学生がそうであったように筆者自身も最初は戸惑ったものの、回数を重ねるにつれて本実践での教材と方法は遠隔授業と相性がいいと感じている。チャプターの内容は変っても基本的に指示は同じだからだ。

初回こそオリエンテーションで丁寧に指示をしているが、あとはWordファイルと音声付きのPowerPointで課題を与え、次の週で私が添削や解説を行うという方法である。学生の課題内容も提出状況も例年以上のレベルであり、遠隔授業は学生を自律学習者へと促す最適な環境ではないかという思いがけない気づきが得られた。

もちろん対面授業でしかできないタスク(スピーキングやグループ活動)も多い。しかし真の自律学習者を育てるためには、毎回教室で教員が指示を出してタスクをやらせる必要があるだろうか、という疑問が浮かぶ。今回のような状況に陥ってなければ考えもしなかったことだ。

非常勤講師として11年ほど教えているが、本当にいろいろな学生に出会ってきた。単位のためだけに英語の授業を取っている学生。口頭やプリントで繰り返し説明してもぜんぜん聞いてない学生。授業の振り返りシートにひどいコメントを残す学生。「○○さんや△△さん(その大学は先生を「さん」づけで呼ぶらしい)の授業を見習ったらいかがですか?」や「レベル低すぎます、お金返してください」的なものまで、読んだ瞬間にくらっとするような辛辣なコメントもあった。

そのたびに傷ついて、大学に行きなくないと思った。もちろん英語が好きな学生、意欲的な学生、好意的なコメントを残してくれる学生はたくさんいるが、ひどいことほど印象に残っている。ある時期まで、町で大学生ぽい集団を見かけたら思わず目を背けるほど、彼ら全般にアレルギーを持っていた。

でも振り返ると、講師を始めた数年は試行錯誤で、学生にとってはつまらない物足りない授業だったと思う。説明が不十分だったこともあるだろう。ひどいコメントをもらうと、そのたびに授業を見直して、ここは修正できるな、もっとこうしよう、でもここは譲れない、など自分のポリシーも見えてきた。

それでも、とても正直に告白すると、いまだに大学の対面授業は苦手だ。オンラインを経験したから余計にそう思う。
人の目がこわいのだ。教える仕事を何年もしているが、こればかりは慣れない。

でもここ数年は、時間が大幅に余る、かけるべきCDを忘れた、教授用資料を忘れた、など、昔であればアワアワしてしまうような事態にもスムーズに対処できるようになった。それでも、私はオンラインが好きだ。

アンティークの文机でオンライン準備

オンラインと言っても、私の授業の場合はWordファイルに細かい指示を書く→PowerPointで同じ内容をわかりやすく視覚化して(DJ気分で)音声を録音する→両ファイルをアップして期限までに学生が見て課題を提出する、というオンデマンド方式である。リアルタイムではない。WordとPowerPointの両方を用意するのは、読んでわかる学生とそうでない学生がいるからだ。両方からアプローチして、どちらか不得意な学生がいても指示がわかるようにしている。

グループやペアで話し合ったり、友達とわいわい言いながら問題に取り組む時間も大事だと思う。スピーキングは特にオンラインでは伸ばしにくい。でも、時間や場所に制約されず、集中して取り組むことができるオンラインの魅力と効果は大きい。

教えることの最終目標は、自律的学習者(Autonomous Learners)を育てることだ。自分でやりたいと思って、自分で学ぼうとしないと、どんなことも伸びない。
それは、毎回無理やり決まった時間に決まった場所に座らせて教師が指示しなくても、できるようになるということ。だから私の授業ではオンラインと対面のハイブリッドが一番いいな、と思っている。

つくづく、日本の高校までのシステムは学校や教師が生徒のお世話をしすぎだと思う。だから自主性が(特に学びにおいて)育たないまま大学に進学し、受け身の姿勢で教師に期待しすぎたりする子が多いのだろう。

中高では、もうちょっと生徒を信用して、任せて、ほったらかしてもいい。そして励ましたり、声をかけたり、話を聞いたりすることのほうが、よっぽど大切だ。
自分のスクールでも、生徒の話を聞いたり、ポジティブな英語でお互いをはげます時間を意識して入れている。その土台があってこそ、何かを学びたいという意欲が出てくるからだ。

たまに私がスクールの生徒(小1など)から思いがけず Great! Wonderful! といったほめ言葉をもらうと、大人なのに「わっ、うれしい」と気分が上がる。いくつになっても人はほめられるとうれしい。大人はもっと自分で自分をほめてもいい。(これは自分に向けても言ってます)

私もいい大人なのだから、人の目がこわい、なんて言ってないで、対面に戻ったらまた腹を括っていい授業をしたいと思っている。
もちろん、自分をほめながら。I’ll try!!

Kana


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