村井理子さんインタビュー(番外編、その2)-英語は日本語のベースがあってこその積み上げ


翻訳家の村井理子さんインタビュー番外編、その2は、村井さんから見た日本の英語学習についてです。個人的にも興味深いお話がたくさん聞けました。

日々、英語と日本語の両方に向き合うお仕事をされている村井さんだからこその鋭い指摘もあり、教える立場としても「本当にそのとおり!!!」と、いろいろと答え合わせができたような時間でした。

英語の授業を英語でやる必要はまったくないと思う

文部科学省が定める新しい「学習指導要領」では、高等学校だけではなく中学校でも「英語の授業は英語で行うことを基本とする」方針が盛り込まれている。この「授業は英語で」の方針によって現場は振り回され、先生方は苦労されていると聞く。

私自身、英語が好きなのに話せない時期が長くあって「学校で文法ばっかりやらされてるせいじゃない?」と学生時代は思っていた。特に中高の英語の授業はあまり楽しくなかった。(これは教師主導の受け身の授業スタイル全盛期だったせいもある)

学生時代の私のように感じる人は世間の声として多いだろうから、会話重視に傾く文科省の流れもわからなくはない。でも、文法はとても大事ですべての土台になる。本気で英語に取り組んだ時にそう痛感した。だから文法や訳の時間を減らして会話重視にいってしまうと、必ず行き詰まる。

中学生の双子の息子さんを持つ村井さん自身、この方針についてどう考えているのかとても興味があった。

―「英語の授業は英語で行う」についてはどう思われますか?

村井さん: 息子の授業参観に行ったときに見ましたが、正直、時間がもったいないからやめたら?って思ったくらい(笑)意思の疎通ができていなかった。会話の授業はネイティブ担当の別クラスがあるから、文法、アルファベットの発音、スペルとかの授業は日本語でもぜんぜんいいと思いました。アメリカのノリ、イコール英語って刷り込みがあるのかな。英語はハイテンションで「ハァ~イ!」みたいな、まずそこから入っているのが取っ掛かりとしてはいいのか…どうなんだろう?

 もしかすると先生の配慮として、たとえば英語の発音が恥ずかしいって子がいたときに「みんなも先生も英語でやってるんだから、あなたもやるんだよ」っていう雰囲気作りとか、羞恥心を取っ払うっていう意味なのかな?とも思った。ただ今どきの子ってぜんぜん恥ずかしがらないので大丈夫じゃないでしょうか。私は英語でやる必要はまったくないと思いますね。

英会話能力も結局は人柄

―現状の学校教育では「話す」時間を増やして「訳す」時間を減らす傾向にあります。個人的にも「訳す」作業は英語習得に役立つと思いますが、村井さんはどうお考えでしょうか。

村井さん: 確かに効果はあります。絶対あるんですけど、そこに到達するまでの道のりが長いですよね。英語の本当の実力につながるんだっていう理解に持っていくまですごく時間がかかる。

 そもそもみんな英語を習いたいって思うのはなぜかっていうと、英語がかっこいいからとか、海外のセレブが好きだからとか、みんなのベースがまず「しゃべりたい」「できればかっこよく発音したい」っていう憧れの要素が強い。そういう人たちに「いや実は翻訳が一番英語に効くんだよ」って言っても「えっ」ってなりますよね。

―私自身もスクールや大学で教える立場として、そういった憧れが強い生徒さんたちにどう伝えて教えていくのか悩むところです。

村井さん: たくさん読むことは大事ですよね。そもそも日本語も読む量が減っていると言うし。みなさん言ってることですが、英語力も結局は日本語力だし、最終的には人柄じゃないですか。でもこれを学生さんに教えるのってすごく難しい。ペラペラ話せて発音が良くても、話す内容や人間性ってところが一番重要なんです。でもそれを教育として教えるとなるとすごく大変ですよね。

かっこいいところを求めるのはわかるのですが、「英語力」という話になったらやっぱり日本語のベースがないとどうしても厳しい。母語のベースがあってこその積み上げだから、日本語は大事だと思いますけどね。

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村井さんの似顔絵イラスト by Kana

私自身も最初はそうだったように、外国の文化(映画や音楽)に憧れて「英語が話せたらかっこいいな~」から英語学習をスタートする人は多い。でも英語をある程度やった人ならわかるように、憧れていたように話したり使いこなせるようになるには、長い長い道のりと努力が必要だ。私も仕事で使っているとはいえ、ネイティブレベルには程遠いどころかいまだに知らない単語にも出くわすし、字幕なしで楽しめる映画も限られている。

でも、それでいいのだ。そこで落ち込んだりあきらめてしまえば、いつまでも英語を使えるようにはならない。「外国語として英語を学ぶ人」としてのある種の開き直りと、多少の間違いには目をつぶる鷹揚さが語学学習には必要だと思う。最低限の伝わるコツをつかめば、あとは村井さんも言ってるように「人間性」という、曖昧で目に見えないものが実は一番大事だということに気づく。

そう考えると、やっぱり結局は母語(私たちにとっての日本語)の力が英語を学ぶときに活きてくる。「訳す」ことは母語と英語を極限まで見つめる作業ゆえに両方に効果が出やすく、「授業を英語で」行うよりはるかに豊かな学びになるはずだ。

その3(最終回)は、翻訳のAI化や翻訳作業の苦労、そして一冊を訳すことで起きた自分の変化など、村井さん自身の現在に迫ります!

Kana


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