村井理子さんインタビュー(番外編、その3)―「ひと呼吸」の大切さ


翻訳家の村井理子さんインタビュー番外編の最終回、その3です。
翻訳現場を知る村井さんだからこその事情をざっくばらんに語っていただきました。

英語や翻訳に関するお話が中心になると思いきや、終盤には今を生き抜くヒントにつながったりと、最後までハッとさせられるインタビューでした。

技術は勝手に進んでいくものだから受け入れるしかない

翻訳のAI化は加速している。私自身もGoogle翻訳やDeepL翻訳の精度の高さには驚かされ、利用する機会も多い。一方でこうした進化に伴い、仕事としての翻訳や英語教育の必要性が問われ始めている。翻訳家として村井さんはどう感じているのだろうか。

―翻訳のAI化について、村井さんご自身はどう思われますか。

村井さん: 個人的な意見ですけど、技術の進展って勝手に進んでいくじゃないですか。翻訳にしても、私たちのずっと前の世代の翻訳者たちは、紙と鉛筆を持って信頼性もイマイチな大きな紙の辞書をめくりながら、ひとつひとつ書いていました。

 その時代から考えると、今はTrados(翻訳支援ツール)があり、データベースもあり、ネットの辞書もあり、膨大な数の単語をあっという間に検索できる時代。テキストを打ち込みながら、編集しながら、全体図を確認しながら翻訳している私たちもかなり進んできていますよね。

 だからAIに移っていく流れというのは、当然あると思っています。20年前のAIなんかと比べると、今のGoogle翻訳とかびっくりするほど進んできている。だからそれはもう勝手に進んでいくものと考えたときに、受け入れるしかないんじゃないかと思うんです。

AI翻訳を使うことをチートと思うかツールとして考えるか

―AI翻訳の精度が上がるにつれて、学校教育で英語を教える意味はあるのか?という意見も見かけます。

村井さん: 英語を学ぶことの必然性とか必要性は絶対にあるし、だからこそ人間がかかわる翻訳の価値が上がっていくという面もあると思います。ただAIが進むことで助かる人たちもいっぱいいるし、下手したら命が助かる場面も出てくるので、技術が進むことはむしろ個人的に歓迎してます。

 翻訳の仕事が減るかどうかは本人の考え次第だと思うんですよね。AIが進むことによってそこからまた生み出される雇用もあるし、技術が進んでいくことは何も翻訳だけに限らない。だから翻訳家だけ「いやそれは違う!」って怒っても、進んでいくものは勝手に進んでいくからそんなこと言っても仕方ないだろ、ってところはあります(笑)。

―AI翻訳の精度が上がると、たとえば大学の課題などで学生が使ったとしても見抜けないだろなと思う反面、私自身もGoogle翻訳で一度流した訳文を見直して利用することもあります。一長一短ですね。

村井さん: いずれ見抜けなくなってくるでしょうね。今もAI翻訳に一回流して、なんとなく漠然と「ああ、こう言ってるんだな」ってところから書き直す人はけっこう多いと思います。「文学的な表現は人間がやらないとダメ」とか「翻訳はそんなに簡単な作業じゃない」とか皆さん言ってますし確かにそうなんだけど、翻訳の現場でも使っている人はもうジワジワ出てきてるから(笑)。それをチートと思うのかツールとして考えるのか、難しいところですね。

 ただね、気持ちはわかるんです。たとえば数字で「5マイル進んだ先を右に曲がってそこから3マイル左に曲がった先にある何軒目の家」みたいな、正確に出していかなきゃいけない翻訳だと逆にGoogle翻訳とかの方が信頼性が高い。人間だと、疲れてるとその辺にちょっとしたことで抜けが出てくるから。3マイルが2マイルになったり、30が3になったりとかありますから。そういうところで使うのは私は理解できます。

―失礼ながら、村井さんご自身もAI翻訳を仕事で使うことはありますか。

村井さん: 使いたいんだけど、私のやってる翻訳(ドキュメンタリーや文芸)は使えないですね、やっぱり。もちろんAI翻訳に流してみることはあるんですよ。「ここ何て書いてあるのかな?」って思って。でもぜんぜん使えないから、その誘惑は消えつつありますね(笑)。

―AI翻訳だけでは無理な部分は多いですよね。ちなみに、翻訳されていて大変だなと思うのはどんなときでしょうか。

村井さん: いくら(翻訳力を)鍛えてても、わからないものはわからない。海外の本はいい加減なものも多いから、誤記とかぜんぜん関係ない文章が紛れ込んでいたりして「なんだ?これ何て書いてあるんだ?」ってことがよくあります。

 だから、そういう意味においては人間の関与はまだまだ本についてはありますよね。

―Twitterなどでも「AI翻訳が人間を超える」「語学の勉強が不要になる」などの意見やその反発で、一時期タイムラインが盛り上がっていました。

村井さん: みんな怒ってましたね。でもそんなに怒らなくてもいいと思う。怒るとぜったいに違うとこにエネルギーがいくから(笑)。

 AI翻訳は必ず進んでいってしまうので、だったら便利なツールとして使って共存する道を選んだ方がいいかなと思う。だってPC使ってること自体がツールと仲良くしてるってことだし、インターネットで検索してるのも同じ流れでしょう。昔から考えたらすごい進化だから、その延長として考えたらいいんじゃないかな。

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村井さんのエッセイ最新作は「全員悪人」

確かにTwitterなどのSNSで怒ってる人はあらゆるテーマで見かける。社会や環境への不満、自分と異なる意見への反論など、「なるほどな」と思う意見であっても見るのに疲れて私自身はそっとミュートにすることもある。

村井さんも言うように、怒りはエネルギーを消耗する。自分のコントロールを超えた進化は、目先の文句を言うより大きな視点でとらえて受け入れる方がはるかに楽だ。情報を見ながらも、目の前のことに集中するスキルを意識したいとあらためて思った。

「ひと呼吸」することの大切さ

―今後のお仕事の予定や展望についてお聞かせください。

村井さん: ヘビーなノンフィクションの翻訳を2冊担当していて、年内(2019年)までその仕事がびっしり入ってます。翻訳本が売れなくなってきて受注も少なくなっているので、たぶんこれからは冊数を稼ぐよりは本の内容というか大きめの本で1~2冊やるぐらいがいいかな、と思ってます。

 エッセイなどの日本語の仕事が増えたので、今は英語よりもそっちの方が忙しい。これから翻訳本以外で書き下ろしが何冊か入っているので、そっち(エッセイ)をやっていくことになるんですかねえ。

―翻訳と日本語の本、どちらも楽しんでらっしゃいますか。

村井さん: 翻訳の方が進みが遅いのでしんどいですね。日本語だったら何とかがんばったら一日かからないですけど、翻訳になるとぜんぜん進まない。ジリジリジリジリ…今日も1ページ、今日は2ページ、みたいな感じで進んでいくので、すごく体力が要ります。その割にそんなに売れないでしょ(笑)。 今、私も自分自身でどっちに重きを置こうかちょっと悩んでる感じですね。

―個人的に聞いてみたかったことがあります。編集ライター養成講座でも「写経」は文章上達に役立つというお話を聞いて、私もお気に入りの(向田邦子さんや村井理子さんの)エッセイを写経してみたりしました。村井さんご自身、写経のご経験はありますか?

村井さん: 落ち着きがないんで、たぶん写経とかできないと思う(笑)。私パソコンとかばかり使ってて入力は鬼のように早いんだけど、自分で実際に「書く」ことがなくなってきてるから、最近は意識してちゃんと丁寧に手書きで書くようにしてます。原稿じゃなくて、手紙とかいろいろ。

 というのも、自分が落ち着いて座れなくなってきてるから…。情報がいろいろと流れる社会で、この前のキャスリーンの本(『サカナ・レッスン』2019年6月刊行)にも書いたんですけど、ちょっと落ち着いて「ひと呼吸」することの大切さっていうのは確かにあるな、と。

 前は(「ひと呼吸」とか聞くと)「生ぬるいこと言うなー!」「そんな時間はない!」とか思ってたんですけど、最近はさすがに、「ちょっとスイッチオフする時間」っていうのもぜったい必要だな、って思う。やり過ぎちゃう、言い過ぎちゃう、食べ過ぎちゃう、とか、そういう「過ぎる」がどうしてもあるから、そこから自分を断ち切る、ということですね。

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『サカナレッスン』出版記念トークショーin目黒

このインタビューの1年ほど前に、村井さんご自身は心臓の大手術を経験されている。(詳しくはエッセイ「更年期障害だと思ってたら重病だった話」に連載中)

インタビュー当時はすでに「体調はすごくよくなって、今は前と同じペースで仕事をしている」とおっしゃっていたが、その言葉どおり、翻訳本に加えて次々とエッセイ本が出版されて話題になっている。「英語と日本語の本が半々くらいになったらバランスがいいかな」ともつぶやいておられたが、現在のご活躍はまさにそのとおりに進んでいるようだ。

私自身もここ数年「ひと呼吸」の大切さを心から感じる出来事があり、今回のインタビュー番外編をまとめながらその言葉がひときわ身に染みた。立ち止まることなく自分に厳しく生きてきた人にとって、40代後半はそのひずみが出やすいタイミングなのかもしれない。

適度にスイッチオフの時間を作りながら、自分や家族、そしてその周辺のできごとに集中するだけで十分なのだとあらためて感じた。

村井理子さん、楽しく貴重、それでいて人生に役立つお話をありがとうございました!

Kana


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