思い入れが強すぎて書けないことってある。
念願だった向田邦子の企画展を見るために、かごしま近代文学館を訪れた旅がそれだった。
ブログを書きたいのに気持ちと言葉がまとまらない。
高校時代からの憧れの人にじっくり向き合う時間は、それほど言葉にしがたい幸福に満ちていた。
「やっぱり鹿児島に行こう」と決めたのは前日。年末からずっと考えて予約しようとしてはあきらめ、を繰り返し、年が明けて企画展が1月23日で終わってしまう!と思ったらいてもたってもいられなくなった。仕事や家事の空き時間はずっと航空券や宿のサイトを見続ける日々。
これまでの経験上、そこまでして自分の気持が強く動かされているなら行くべきなのだ。なのに、いつもの癖でいろんな理由(その週末は雨が降りそう、大学のオンライン準備が大変そう、関空からピーチしか出てないのがやだ、犬猫が心配、など)をつけてあきらめようとしていた。
しかし私の中の林先生(たまに出てくる)から今でしょ!と背中を押されて、光の速さでギリギリに旅の準備を整えた。犬と猫の預け先もすんなりOK。
ここでやっと気持ちが落ち着く。やはりそうすべきだったのだ、という答え合わせができたような、すっきりとした気分で人生初の鹿児島に旅立った。
こんな長距離の旅を前日に決めるなんて、生まれて初めてだったかもしれない。
意外とできるもんなんだな…と、またひとつ自分の中のブロックが外れた。
1日目は霧島温泉を堪能し、霧島神宮から鹿児島市内を目指す。あいにくの雨だけど初めての場所は楽しい。
かごしま近代文学館に行くのは最終日の平日にとっておいた。もちろんゆっくり見るため。
最終日はやっと晴れて、ホテルの部屋から桜島も初めて綺麗に見えた。うわわわわ、と変な声が出る。
前日は曇っていたので大きくて黒い山という印象だったのが、晴れると緑や茶色のコントラストが桜島の山肌をくっきり際立たせて、息をのむ美しさ。生きてる山なんだなと感じた。パワーが半端ないし、活火山なのに(デイビッドはびびっていたが)なぜか安心感を与えてくれる。
ホテルは、向田邦子さんのエッセイ「鹿児島感傷旅行」にも出てきて、実際に宿泊されたサンロイヤルホテル(ということは後で気づいてキャーとなった)に泊まった。さすがに古いけど、いいホテル。
スタッフに(なぜか)フランス人の方がいて、英語やフランス語や日本語を交えて楽しく会話ができたのも不思議な気分だった。
鹿児島は遠くて田舎だと勝手に思っていたけれど、和歌山よりずっと都会的。ハワイのような力強い大自然に囲まれていて、人もやさしい。向田邦子さんが折に触れて「故郷もどき」と書かれていた理由が、少しわかる気がした。
もうこの時点でほんと鹿児島に来てよかった!!と思っていたがクライマックスはまだである。(前置き長)
かごしま近代文学館に入り(夫のデイビッドとはここでいったん別行動)、係の人に案内されて企画展をやっている2階へと足早に駆け上る。出た。いきなりの「勝負服」がずらりと並ぶコーナー。エッセイや写真で何度となく見た向田さんのオーダーメイドの勝負服(と呼ぶ執筆用の仕事着)が目に入った途端、瞳孔が開く。
「やば、2時間で足りないかもしれない」と思ったが、後悔のないように牛歩で見る。お客様は私以外ほぼ見当たらない。最高のシチュエーションの中、エッセイに出てきた数々のお皿や美術品や「う」の抽斗(全国の「うまいもの」のチラシを入れている)を実際に目の前にして震えた。
あっ、これは九谷焼の2枚しかないお皿!ご実家で海苔を出すのに使ってたんだよね。
この贅沢にも灰皿として使っていた双魚の青磁のお皿、やっぱり素敵だな~。
愛猫マミオさんの魚を大量に炊いたという寸胴鍋まであるよ!
ギャーあの凄みすら感じるエッセイ「消しゴム」の生原稿も!!
などなど、
私のような(かつて買ったのを忘れて同じ本をまた買ってしまう)向田オタクにとって垂涎の品々が展示されている。もう、まじまじと、立ち去るのが惜しいほどに見入ってしまう。企画展ならではの展示に、人生で数えるほどの上質で濃厚な時間だな…とありがたさがこみあげてきて泣きそうになる。というか見終わったあとちょっと泣いた。
やっぱり来てよかった、ギリギリで判断した私グッジョブ。今年はもっと自分のやりたいことをすぐに叶えてあげよう、と心に誓う。
そして常設展の「向田邦子の世界」の部屋は圧巻であった。あの青山第一マンションのリビングが再現されていて、実際に向田さんがいる空気感をずっと感じた。きっと魂はここにあるんじゃ?と思うほど向田さんに包まれた空間になっている。スピリチュアルでもなんでもなく。
天井が高く、真っ白で気持ちのいい壁には向田さんの言葉が大きく映し出されていて、その文字を読むと、そのままその言葉で励まされた気分になれた。
叶わぬ夢も多いが、叶う夢もあるのである。
確かにほんとそう。今までもそうだった。そんな人生のいい一面に目を向けさせてくれる、シンプルながら向田さんらしい言葉に胸が熱くなる。
企画展のエピローグには、
詠み人知らず、値段知らず、ただ自分が好きかどうか、それが身の回りにあることで、毎日がたのしいかどうか、本当はそれでいいのだなあと思えてくる。
という向田さんの言葉が書かれていて、ほんとそれ!!!と撃ち抜かれた。
他の人がどう思うかとか、批判とか、ぜんぜん関係ない。自分が好きだと思ったらそれで十分。かつて何度も読んだであろうその一節は、今の私に強く刺さった。
向田邦子さんが51歳で急逝されたとき(1981年)、私は9歳だった。テレビで見たニュースをかすかに覚えている。
向田さんが生きていた戦前から戦後にかけての昭和の日本は、私が体験した昭和よりもっと保守的で女性が生きづらい世の中だったと想像する。今も根本的に変わっていないところが多いから、当時は女ひとりが生計を立てて(たとえ東京とはいえ)生きていくのは、大きな敵と戦うような過酷な時代だったはず。
でも向田さんの生き方や言葉を知ると、軽やかにそのネガティブな現実と向き合い、うまくかわしながらも、妥協せず自分の好きな衣食住を追い求めてきた姿勢を感じる。
かっこよすぎるし素敵すぎるし文章もうまいし、もうなんなん!!と最終的には好きが爆発しすぎてわけが分からなくなった。はーーーー、本当に日常から離れて夫からも離れて高校生の私に戻ったような、近年まれにみるプレシャスタイムだった。
そして彼女が亡くなった年齢に自分が近づいてきたからこそ、当時の言葉がぐっと迫る、そんな時間でもあった。
ずっと来たい場所だったのになかなか来れずモヤモヤしていたけど、この年齢のタイミングで来られてよかったかもしれない。
帰りはずっと行きたかった(これまた向田さんのエッセイに出てきた)磯浜の「じゃんぼ」なる名物のお餅を、目の前に広がる海と桜島を眺めつつ堪能した。めちゃくちゃ美味しくて、お持ち帰りにして翌日も温めて食べたけど最高だった。
2泊3日じゃぜんぜん足りなかった鹿児島。もっといろいろ食べたり見たりしたかった。
企画展は毎年11月(向田さんの誕生月)から年に1回あるらしいので、今年中にもう1回行きたい。行く前に悩んだら、また脳内の林先生を召喚して実現させよう。
Kana