「書く」ことで報われた日


去年の12月から(途中ドロップアウトしそうになりながら)通っていた編集ライター養成講座の卒業制作で、最優秀賞をいただいた。

先生からのコメントが入った原稿

本当に予想外で、 前期に入って新たな大学での授業とかもろもろでかなりストレスフルな冴えない日々だったのが、完全に報われた瞬間だった。
発表後の最終講義では、うれしさが徐々にこみ上げてきて先生のお話を聴きながらこっそり泣いてしまったほど。

この半年は、土曜朝のレッスンが終ってから電車に飛び乗ってやっと西梅田の講義に間に合う、という分刻みのスケジュールで、正直「今日はもう行きたくないな」と講義をサボったことが何度かあった。課題もすべて提出できず、卒業制作も提出しなくてもいいか…くらいに思っていた。

というのも、 まず「知人以外の人にインタビューのアポイントを取って取材をして、6,000文字の記事にする」という「知人以外の人にアポ」というのが嫌で嫌で仕方なかった。提出しない受講生もいるというし、実際に私の周りでも「出さない」と言ってる人もいて、じゃあ私も….みたいな気持ちになりかけていた。

実は初めて卒業制作についてのオリエンテーションがあったときに、ふと「あ、この人にインタビューしたいな」と思いついた人がいたのだが、すぐに「いやいや、人気のある方だしご多忙だしダメ元でも断られたらやっぱり悲しいし」と心の中で打ち消していた。

ただずっと気になっていたのだと思う。

令和になってGWも過ぎて、「卒業制作をやるならそろそろアポイントとって取材しないとまずい」というタイミングで、たまたま大学の授業が休講になってぽっかり時間が空いた。このときふと「断られてもいいからメールをしてみよう!」 と思いついて、インタビューをしたいと思っていた翻訳家の村井理子さんに連絡をしてみた。

その日のうちに村井さんは丁寧な返信メールを送ってくれて、「スケジュール調整します」と快諾してくださった。ものすごく感激した。めちゃくちゃうれしかったのだが、「これでぜったいに仕上げなければならなくなってしまった….」と少しだけ気が重くなった。

案の定、インタビューのあともなかなか執筆の時間が取れず、もう無理かも、とあきらめそうになるたびに私を机に向かわせたのは、講師の石原卓先生の言葉「不本意でも出すことが大事」「〆切があるから書ける、文章がうまくなる」である。

この言葉は何気ないけれど、すごい力があった。
余計なことを考えず(いいものを書きたいとか優秀賞を狙おうとか)、提出だけを目標にがんばれたのはこの言葉のおかげだ。
結果、ふりかえってみると自分の書きたいことから離れずに最初から最後まで書けた気がしている。時間に余裕がなかったこともあるが、ただ純粋に「読者に村井さんのことを知ってもらいながら、いかにテーマをわかりやすく伝えるか」に集中できた。

これまでの講義でも、米光一成先生の「発想する段階から自分で抑圧するな、まず書いてみよ。すでにそのままでオリジナリティがあるのだから」には勇気をもらっていたし、他の先生方の講義もとても参考になったのだが、そうして書いたものを人目にさらすという最後の後押しをしてくれたのは、石原先生からの言葉だった。

この走り書きメモがずっと支えてくれた。
メモ大事。

編集ライターになるというよりは、日常の「書く」スキルをもっと上げたいなと思って受講したのだが、書くこと以上に深い学びがあったと思う。

そして「書く」ことで、予想だにしていなかった最優秀賞という評価をいただき、6月に地の底まで落ちていた自尊心が少しだけ取り戻されてとても救われた。
選んでくださった先生や宣伝会議スタッフの皆さま、本当にありがとうございました。

卒業制作のタイトルは「なぜ私たちは英語を学ぶのか?-翻訳家・エッセイストの村井理子氏に聴く、英語学習と翻訳の関係」です。
季刊「編集会議」(…と聞いていたのですが「広報会議」の可能性が高いとのこと)に講評と共に掲載される予定なので、たくさんの方に読んでもらえるとうれしいです!
またお知らせします。

Kana