シンポーイングリッシュを振り返って ー連載のつらさを思い知った日々ー


13年前(2008年)に和歌山に戻ってきて英語スクールを始めたとき、地元の新聞「和歌山新報」が取材をしてくれた。

これを見たとき恥ずかしかったのを覚えている

それがきっかけで週に1回のキッズコーナーで子供向けの英語にまつわる連載をすることになり、スクールの宣伝も兼ねて無償でお引き受けしたのがシンポーイングリッシュ(Simple English)である。
これは英語の “Simple”(シンポー)と和歌山新報の「新報(しんぽう)」をかけた親父ギャク感のあるもので、比較的年齢層の高いローカル読者にぴったりではないか、とけっこう気に入っていた。確か妹(三女)のアイデアだったと思う。

記念すべき?第1回は2008年5月25日(偶然にも自分の誕生日だった)

連載は1年続いた。

最初は「週1ならなんとかいけるかな」と軽い気持ちで引き受けたものの、やはりネタ切れになったりして連載のつらさを肌で感じる苦しい1年だった。
それ以来、連載を抱える漫画家さんや作家さんを心から尊敬している。

たとえば私はイラストも描いていたのだが、それが描けないときは本当に苦しい。
いや、そんなもの青池保子先生や山岸涼子先生と比べたら(比べるな)ささっと描けよ、という落書きレベルなのだが、肝心の英語のネタも浮かばないときは仕事でもないのに何時間も机の前から動けなくなる。

そんなときは、昔からよく描いていた家族の似顔絵を登場させることが多くなった。
(そしてその頻度は連載終了に向けて加速度を増す)

まずは両親
妹たち(三女と四女)
飼っていた甲斐犬のスズちゃんも駆り出され
ついに単独登場の母
父もソロで活躍

しかし一方ではちょっとした長谷川町子先生気分で、苦しいときも「『サザエさん打ち明け話』でネタが出なくて町子先生はスルメを噛んで胃痛に悩まされていたな~わかる~!」と新聞連載を抱える大御所気分を楽しむときもあった。

お隣で連載されていたカボちゃんも勝手に登場させたり
和歌山が誇る猫のたま駅長もちゃっかり利用

1年後も続投を期待されていた(と思う)のだが、教える仕事に加えて大学院進学、予想外の結婚、と3足のわらじを履くような事態になり、悩んだ末に連載を終了した。
最後に選んだフレーズはSo long!(またね!)である。これは前から決めていた。

唐突な最終回(たまに白黒になる紙面)

あらためて読み返すと、イラストはさておき、英語の内容はけっこうおもしろいじゃん!と思う。(自分で言うな)
でもそのときはネタを出すのに必死で余裕がなく、気づけなかった。

当時はしんどくて内容も気に入らなかったり、間違いもあったりと反省ばかりだったけど、13年たって読み返すと見えるものが違ってくる。
イギリス、東京、京都を経て和歌山に舞い戻り、「がんばらなければ」と気負いすぎていた自分の姿もよく見えた。

今は過去の自分に「そんなにがんばらんでも大丈夫やで」と言ってあげたい。
その後さらにしんどくなることも多かったけど、振り返ると自分の生真面目さのせいでもあると思うから。

もっと気楽にやろうよ、そんなに悪くないよ、と同じように苦しんでいる人にも伝えたい。
過去の私へ伝えたいメッセージは、スクールに来てくれる生徒さんや大学の学生に還元しよう、と心に誓う新学期である。

Kana

おまけ。実話に基づく両親のあるあるフレーズ。

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