My English Learning History 6


Part 5 からの続きです。

⑧翻訳者時代
モラトリアムと呼ぶには過酷な留学時代を終え、やっと働き始めたのが20代後半にさしかかった頃。しばらく和歌山に住んでいましたが、「やっぱり英語を使った仕事がしたい!」と再び(きらいだった)東京へ。

主に Web やマニュアルを翻訳する会社に採用されます。イギリスに本社を置く外資系の会社でした。当時まだイギリスに戻るぞーと密かに計画していたのでイギリスの銀行口座もそのままにしていて、いつか UK 本社で働くという野心を持って働き始めるのですが…

毎日毎日、翻訳マシンのように PC に張り付いてノルマをこなす日々。膨大なプロジェクトを抱えてマネージャ的な仕事をさせられつつ、翻訳するのも嫌になってきました。外資系なので使えない人材は本当にばっさり切られます。実際、次の日から来なくていいよと突然解雇された人たちを何人も見てきました。希望すれば UK 本社に行くこともできた状況でしたが、だんだん会社のやり方が自分と合わないな~と思い始めてきたのが5年目くらい。

会社があった中目黒は桜の名所で、写真は夜桜がてら会社帰りに飲みに行ったときのもの。(指さしているのは当時心酔していた龍馬の看板)
大学時代と違って、この時期は東京生活を割と楽しんでました。

ポイズン会社と日々ディスりながらも、そこで気の合う親友にも出会えたし、ひたすら翻訳と格闘する日々は英語力向上にとても効果があったようで、たいした試験対策もせずに受けたTOEIC で自己最高得点(スコア940)を取ったのもこの時期です。

実は留学から帰国後すぐに初めて TOEIC を受けたのですが、そのときはスコア860 くらいでした。TOEIC は1回でも受けるとどんな感じがわかりますが、とにかくスピードと集中力が必要です。予備知識ゼロで受けると、ちょっと気を抜いている間にリスニング問題が進んでしまって問題を取りこぼすこともしばしば。

スコア900 は超えたいなあと思っていたので、その後何度か受けた TOEIC では直前にうすい問題集で TOEIC 形式に慣れておくようにすると、少しづつ上がってきました。でも一番効果があったのは、仕事でひたすら英語を日本語に訳す作業をしてたからだと思います。

留学時代もかなりの量の英文を読んでいたと思うのですが、翻訳することを意識して読むと飛躍的に英文読解力が上がる!と実感。
だから学校での英文和訳は決して無駄ではないのです。英語と母語が脳の中で行ったり来たりする作業は、両方の言語の違いに対する深い気づきを生み、読む力が飛躍的に伸びます。不思議なことにリスニング力もアップしました。

数年前から大学の TOEIC クラスも担当していますが、学生から「おすすめの参考書は?」「スコアアップのために何をすればいいですか?」とよくある質問を受けます。ぶっちゃけ参考書はどんなものでもよくて、それを使ってどう勉強するか、です。たとえば私の授業では時々しっかり訳させたり(翻訳者になったつもりで!と指示)、CD と一緒にひたすら音読・シャドーイングさせたりしています。単に問題をこなすだけでは TOEIC のスコアアップは難しいのです。

話がそれてしまいました。

6年目くらいで東京を引き上げ、関西に戻ってきます。京都で1年ほど働いた後、再び和歌山に戻り英語教室を開くという予想外の展開に。
このとき、30代半ば。妙齢にさしかかり結婚できるかどうか問題も自分の中にありつつ、しばらく仕事に生きるかー!と腹をくくったとたんに思いがけない出会いがありました。しかも和歌山で。

さーー!いよいよ最終回の結婚編 Part 7 へと続きます。(と自分で盛り上げてみる)