My English Learning History 5


やっっと試験の採点と成績報告が終わりました~。ばんざーい。

というわけで、Part 4 の続きです。
つらいながらも学びの多かった留学生活の後半いってみよー!(一時的にテンションが高くなっています)

⑦大学院時代

1996年、場所はBrighton(ブライトン)という海辺の町。ブライトンはロンドンから電車で1時間程度の、のんびりした観光地という感じ。ロンドンより物価も安くて人も親切で住みやすかったです。

大学の留学生専用フラット(アメリカでは apartment、イギリスでは flat といいます)で他国の男女6名と共同生活。最初はとまどいましたが、イタリア、アフリカ、カナダ、ヨルダン!など、色んな国の人たちと生活した経験はとても貴重でした。

イギリスの大学院修士課程は、通常1年コースで intensive course と呼ばれ、かなり集中的です。どれだけ書かすのーー!というくらい論文を書く課題に追われます。もちろん最終関門の修士論文も。1年で3万語くらい英語を書いたのでは…。

論文を書くには、もちろん読まないと書けません。授業以外の時間は、ひたすら参考文献を図書館で探し→読み→書く!という生活。まさに論文トライアスロン。締切もあるのでそんなに時間はかけられません。でも英語がネイティブではないため、時間がかかります。締め切り前は徹夜という日も珍しくありませんでした。

写真は授業のあと、教授を挟んでクラスメートたちと。右から二人目が私。

所属していた応用言語学科は私を含めて8名ほどのクラス。ランゲージスクールと違い、もちろんネイティブもいます。イギリス人、アイルランド人、スペイン人、フランス人、ギリシャ人、中国人など。日本人は私ひとりでした。最初はひーって思いましたが、ロンドンで日本人とよく遊んでいた私にとっては良い刺激となり、本当の意味で使える英語が習得できたのはこの時期があったからこそだと思います。

一番右に写るフランス人 Emmanuelle と一番仲が良く、彼女が当時一緒に住んでいたイギリス人彼氏も交えてよく遊びました。
Emmanuelle もそうですが、イギリス人以外のクラスメートたちもみんな英語が堪能でびっくりしました。
なぜ私を含めて、日本人は英語を話すのがこんなに苦手で伸びないんだろう…
この時期から特に疑問として私の中で芽生えます。
他のアジアの国から来た留学生たち(韓国、中国、台湾など)も、軒並みめっちゃ話せてました。多少の間違いなど気にせずに、イギリス人たちとコミュニケーションをばんばん取ってます。

応用言語学を専攻していたので、修士論文は迷わずこの疑問をテーマに書きました。
タイトルは、 “Linguistic Problems Facing Japanese Learners of English” (日本人の英語学習者が直面する言語学的問題について)

今自分で読み返してもなかなか面白いですが、やはり稚拙な部分もたくさん。でも、いろんな要因の中で一番大きいのは文化的な違いといえます。このことは今も変わらず「そうだな~」と納得します。「内と外」「甘えの文化」「受験やテスト勉強に終始する受身の授業スタイル」「みんなと同じが推奨される」など。これらの文化が、特にスピーキングが伸びない原因の一端となっていることは自分の経験からもよくわかります。

では、どうすればいいのだーー!という方法論はまたゆっくり書きますね。

死ぬ思いで修士論文を提出した次の日くらい、クラスメートたちと指導教官のお宅でガーデンパーティをした時の一枚です。過酷な論文ぢごくを経て、少しやせています…(えっ、あまりわからない??)
シャイな日本人の私が、ずずいっと前に出て写ってますね。気づかなかったのですが、今見返すとやはり私の中でも何かしらの変化があったのかもしれません。
辛いことの方が多かった留学時代ですが、英語に多少の自信も持ち、成長した自分を感じられる一枚です。(大げさ)

無事に修了式を終えて、Emmanuelle と。

この時期は、まだ教える仕事に就くなど考えもせず、約2年半の留学生活を終えた私はとりあえず日本に帰国することになりました。

長ーい学生生活も終わり、本格的に働くことになった時代(別名:仕事のストレスで飲み歩き時代)は Part 6 へ続きます。